昨年5月の卒後50周年記念同窓会を区切りに、更新第1回同窓会が6月16日〜17日、再びホテル・グランドニッコ−東京台場を主舞台に開催された。
 初日第1ステージは、竹芝桟橋よりヴァンテアン・ランチクルーズ。同伴者含め13名が個室コーラルで、美味しいフレンチ料理に舌鼓。台風5号の影響か、東京湾も軽いうねりがあったのとアルコールの酔いが加わり心地良かった。特筆すべきは、大関道義君夫妻と菅義信君のほとんど初めての参加である。前回卒後50周年記念同窓会記事を刀城クラブ会報にレポートしてくれた舟橋一郎君からは、トロットラグビークラブから紫パンツを贈呈され、自主トレーニングはもちろん、試合にも参加していると自慢話があった。恒例の個々近況報告もあり、料理の味わいと船窓の景色観光に忙しくもあった。
 2時間のクルージング後、新交通システム「ゆりかもめ」でお台場のホテルに入った。チェックイン予約時刻前の到着で混乱したが、第2ステージの懇親会となった。ここから参加の小野垣義男君が遅れ、やきもきしたが大関君の携帯に電話登録があり、そのお陰でこちらに向かっていることが判った。程なく小野垣君到着。美味しいコーヒーを飲みながら、主として小グループでの懇談風景が繰り広げられた。
 第2ステージは午後5時終了。改めてチェックイン。午後6時から第3ステージのメインパーティが同じ会場メヌエットで開会となった。ここからの参加者は5名。同窓生15名、同伴者4名、総勢19名となった。乾杯ののち、それぞれの近況報告、医師としての生きがいなどのスピーチが続いた。欠席通知は12名、体調不良等のためキャンセルが4名。この4、5月だけで黛卓爾、内田信一、鈴木忠の3君が鬼籍に入ったことでそれぞれの思い出も話題となったが、同窓会常連の黛君が欠けたのは寂しい限りであった。パーティ終了時、春日夫人から女性参加者及びそれぞれの配偶者向けに手編みの靴下プレゼントがあった。
 翌日第4ステージは11名の参加。デックス東京ビーチに徒歩で移動。マダム・タッソー東京に入館。マリリンモンロー、オードリーヘップバーン、マイケルジャクソン、吉田茂、王貞治などと握手、親しく触れ写真にも収まった。東京トリックアート迷宮館では錯覚による楽しさや恐怖を味わった。昼食は、インド料理「カザーナ」でのスパイスの効いたカレーとナンのランチバイキング。ナンもカレーもお代わり自由で、久しぶり腹いっぱい摂った後、すべてのステージが終了、名残を惜しみつつそれぞれ帰路に着いた。
 後藤文夫君が、母校群馬大学重粒子高度治療装置見学をセッティングしてくれるということで、早くも来年は前橋中心の同窓会予定となった。
 私事であるが、昨年正月に第5腰椎圧迫骨折で腰痛を病み、車椅子移動の身となった。今回同窓会に参加できたのは、妻典子のお蔭であり、感謝している。
 最後に「42的結合」と言われる昭和42卒業の昔からの結束は、世話役の春日功君のご尽力によるものであり一同感謝している。

写真(敬称略)
前列左から 大関芳枝、大関道義、平嶋昇、岡田慶一、舟橋一郎、小室苑、大川匡子、菅谷公平、菅義信、春日功
2列目左から 平嶋律子、岡田典子、小野垣義男、長岡成郎、長屋孝雄、荻野忠、後藤文夫、春日美登里、山本邦宏







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