80歳(傘寿)の坂を全員が越えた世代のクラス会はいかばかりであろうか。若い後輩たちもいずれ高齢者になるのは必然ゆえ、多少参考になるかも知れない。これは卒後(1961年卒)57年経つクラス会の近況であります。
 時は、平成30年6月2日。場所は前橋市内のホテル(ラシーネ新前橋)。出席予定者24名全員の顔触れが揃ったところで、まず集合写真をとり、午後6時開会でありました。恒例に従い、物故者(留学生2名を除く60名中17名)のご冥福を祈り、黙祷約30秒。日立市から馳せ参じた齋藤氏の乾杯の音頭により、料理を食べながら、近況報告となったのであります。
 ホテル宿泊は伊澤、石川、釼持、富田の4人で、他の面面は日帰りのため、限られた時間内に喋らなければならない。今回のクラス会における近況報告は要約すると、次のようになりました。
 その1. 約半数を占める開業医の諸君は、ほぼ次の世代に引き継いでいるが、「なかなか一緒ではうまくいかない」「親は遠慮しなければならない」といった二年前の嘆き節は、今回は何故かあまり聞かれなかったのであります。察するに、「もう無駄な抵抗はしない」という心境に至ったのでしょうか。一方、勤務医を選んだ多くの仲間は、老健などの高齢者医療の道に移行したようであります。歳をとっても聴診器を離したくないのであります。80歳を過ぎても、私たちの世代には現在「働く場がある」のであります。
 その2. 2年前のクラス会で、医者を辞めたと宣言した1人は、脳梗塞の再発で今回は来られなくなったというハガキが届いたが、もう一人の金井女史は元気溌剌、余生を楽しんでいるように見えました。しかし、大部分の仲間は、「声が小さくなった」、「難聴が進んだ」、さらに白内障や心筋梗塞、さらに大腿骨骨頭壊死など、本音が続出しました。従って、ほとんど薬を飲んでいる気配でありました。一方、大きな声で、「動け動けをモットーに健康管理に努めている」という岡部の発言はひときわ目立ちました。また、クラス会幹事の1人であった栗原の亡くなったことに、桐生が触れて、奥様からの「楽しい人生を送ったのではないか」という話が伝えられました。そして、幹事代行を兼ねて会計を担当している田島女史の「今日おかしくなっても全くおかしくない」というスピーチはけだし至言と言うべきでした。
 その3. 朗報もありました。物故者と想定されていた某君が実は生存していたのであります。立派に生きていたことが、返信用のハガキで判ったのであります。暫らく振りで姿を見せた馬場は、「老醜をさらしたくないので」と弁解しつつも、「息子が大学教授になった」と言い、自ら「トンビがタカを生んだ」と控え目ながら自慢したのは、嬉しい限りでした。「われわれの世代は戦後70年間、平和に過ごすことができて幸せだった」という高野の発言は、たしか2年前と同じ口調であったが、精神科医らしい名言であったと思うのであります。
 別に提案もなかったが、阿吽の呼吸で、2年後の再会を胸に8時半過ぎに散会となりましたが、なおホテルのロビーでコーヒーを飲みながら、雑談に話が尽きなかったのであります。
最後に「短歌研究」誌上本年7月号に掲載された筆者の一首を置かせて頂きます。
○歯にインプラント・胸にステント入れられて御用はいかがと午後の往診

後列左より:釼持、大竹、富田、田原、小林(正)、桐生、伊澤
中列左より:萩原、高柳、馬場、岡部、齋藤、小林(功)、竹村、佐藤
前列左より:田中、成田、金井、青木、田島、石川、高野(玲)、田村(多)、高野(介)







事務局連絡先群馬大学ホームページ
 サイト内検索

© 2005 Gunma University School of Medicine
Alumni Association. All rights reserved.