竹の子クラブの皆さん、記録的に日照時間が短かった今年の夏をどのように過されましたか?夏休み中で未だ目の覚めやらぬ午前6時、今迄聞いたことのない異様なサイレンの音に驚かされて、70年前の戦災の記憶が生々しくよみがえって来たのではないでしょうか。
 あの当時、防空壕を掘ったり、その中でB29の爆音を聞き分ける訓練を受けたりしたことと、今回北朝鮮の弾道ミサイル発射に備えて、頑丈な建物の中とか地下室に避難しろという政府の発表と重ね合わせて、B29と防空壕、弾道ミサイルと頑丈な建物という時代錯誤的比偸に思わず笑ってしまいたくなるのは、80歳を過ぎた年寄りの余裕なのか、はたまた諦めなのでしょうか。
 さて、永島勇君のお世話で四季折々に開催されてきた昭和33年卒クラス会(竹の子クラブ)の集まりが、今回は彼の瑞宝双光章受章の祝賀会を兼ねて去る7月22日定宿である前橋のホテル・サンダーソンで行われました。58名の昭和33年卒(同窓会会員名簿による)のメンバーも既に29名が亡く(9月末日現在)、消息不明が2名、残りの27名からは永島君のご努力ですべて元気である旨の届いておりますが、五体満足な者は殆居ないのが現状のようです。そんな事情の中で15名(夫人を含む)の出席があったことはクラス幹事(飯島、神山)として嬉しく思いました。
 会の冒頭の挨拶で、思わず最後の一兵になるまで集まろうと発破をかけてみましたが、現実は厳しいようです。
 消息不明の2名は弥富晃一君と吉田実君ですが、弥富君については、川崎市の保健所長であった頃までは分かっていますが、その後の消息が不明です。吉田君は全く不明です。ご存知の方が居たら一報ください。
 そして永島君の永年にわたる学校保健その他への功績による受賞について、出席した竹の子クラブ全員でお祝いをしました。
 来年は、卒後60周年です。東京組(小林暉さんを中心にして)のお世話で開催予定ですが、その前に永島君の定例の集まりを、忘年会を兼ねて暮れに開催したら如何でしょうか?
 その席で終焉を迎えようとしている竹の子クラブの身の始末について、話し合いたいと思います。

当日の集合写真です。
 前列左から(敬称略)松浦鎮、塚田穣夫人、永島勇夫人、永島勇、
 松岡正紀、松岡正紀夫人、片貝重之、
 後列左から、神山照秋、湊正、小林暉佳、川上哲男、塚田穣、
 奈良佳司、鈴木博、(飯島君は遅れて来たので入っていない)







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