前年に引続いての会合となったが、初めての西日本地域での開催という事もあり、ご夫妻6組を含む、総勢27名の盛会となった。
 会場は石川県山代温泉の「たちばな四季亭」で全館を素足で行き来できる純和風の老舗旅館だった。
 9月16日(日)、17日(祝)の連休を利用しての開催となった為か、初めての日本海側の電車旅行を一人で楽しんで前日に来館した川崎君は、当日の早朝より、九谷焼の上り窯や魯山人の佗び住い等を観光して、思い出深い旅になったそうだ。また、他にも2人程前日より来県していたり、当日、早朝の航空便で来県し、兼六園等を散策した小原君たちのグループもあり、それぞれがクラス会以外にも石川県の観光を楽しんだ様だ。
 宴会に入る前に、地元出身の幹事より往時を振り返っての挨拶があった。
 自分が群馬大学に通っていた50年程前は石川県と群馬県との問の交通の便はかなり大変なものだった。最も便利で速いのは、夜行寝台特急だったが、それでも8時間程かかっていた。夜中の10時半頃金沢駅を出発して、上越線廻りか信越線廻りで翌日の早朝5時頃に高崎駅に到着した。
 勿論蒸気機関車が牽引する列車で、長野県と群馬県との境の唯水峠は急勾配の為、アプト式の電車がゆるゆる引っ張り上がっていくという正に鉄道博物館の時代だった。うす暗い高崎駅のプラットホームに降り立ってそこに設置されていた洗面所で、すすけた顔を洗ってすっきりした気分になり、これでようやく、群馬県に来たのだと思った事を今でもはっきり憶えている。一時間程待って、両毛線の始発に乗って前橋駅に着き、人気のない街路をトコトコと栄町の下宿先まで歩くのが常の事だった。前橋での学生生活は、大都市のそれとは異なり、人の流れも時間の流れも、割とゆったりしていて、石川県の片田舎からポッと出の自分にも何となく、馴染みやすい環境だった。当時の医学部進学課呈には、新入生の生活を精神面からサポートする指導教官制度というのがあり、担当の寺本教授(数学)は大変な山好きの方で、谷川岳を初めとして前橋から簡単に行ける赤城山や榛名山には何度も連れて行ってもらった。又、友達とも尾瀬沼や至仏岳、また草津白根山等、県境の山々に登った懐かしい思い出があり、今でも気持ちの支えになっているとの話があった。
 次いで、これまでに逝去された11名の級友のご冥福を祈って黙祷を捧げ、その後に宴会に入った。
 先ずは、会を壽ぎ、松井君(金沢出身)による加賀宝生流のお謡(高砂と羅生門)があり、続いて鈴木君の音頭で乾杯をして宴会が進んでいった。
 酒どころの地元の銘酒、大吟醸菊姫や大吟醸古々酒手取川等を堪能しながら会は次第にざわめきを増していった。幹事が持参した学生蒔代のスナップ写真集や卒業記念アルバムを見ながら若くて青かった頃の話に花を咲かせた。中〆の挨拶を,兼ねて古谷君と山中君とによる刀城クラブの益々の発展を祈念する万歳三唱をもって一次会を終えた。
 希望者による二次会は一階のラウンジでピアノの生演奏を聴きながら1時間余り続いた。
 翌朝は9時前にバスで旅館を出発し、先ず粟津温泉近くの「ゆのくにの森」に行き、そこで北陸地方の伝統工芸品の数々を物色した。その後福井県に向かい、曹洞宗大本山永年寺と、近くの日本海の景勝地東尋坊を観光した。
 次回は平成25年に横浜で開催する事をバスの中で確認して、3時を過ぎた頃JR線経由、或いは空路でそれぞれが帰路についた。
 後日、出席者からは勿論、欠席者からも集合写真をもらったお礼として、多くの方から感謝の言葉を頂き、幹事冥利とクラスの絆の強さをしみじみと感じた。
 






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