我がクラスは六城会(りくぎ会)と云います。群大第六回生と赤城からとったものです。
卒業以来菅野君と新部でクラス幹事をやってきまして、原則として群馬と他都県が交互に担当することとして毎年開催してきました。
 開催地、世話人を代えることで、観光地をめぐったり、うまいものを食べたりしながら、参加してない会員を積極的に誘ってきました。幸い全員が一度は参加することになったのは、20年ぐらい前に達成しました。参加することに抵抗があったのは、学生時代が楽しくなく、苦しかったからだという友人が数人いました。気付かずに申し訳ないと、反省させられました。まさに苦学生だったということです。
 若い頃のクラス会は、2次会、3次会をどうするかが世話役の心配でしたが、最近は、飲むのも食べるのも気にならず、体調に合わせて行ける場所と集合時間が選択の主役になってきました。
 われわれのクラスの特色は、医学部への進学制度が変更される直前であったため、大学卒や社会人入学者などが多く、平均3年超で80歳のストレート組(数人しかいない)より高齢であったため、ここ数年、急速に会員数が減少し、開催可能な都県は群馬と東京だけになってしまいました。おまけに事務局を担当していた幹事の菅野君が2月に逝去され、私は体調不良で開催は修了かなと思っていたところ、クラスメート達から強い開催要望があって、これまで世話役の経験のない原君に頼み、急遽開催することにしました。
 前橋での前回開催は家族同伴としましたので30人程あつまりました。今回は体調が悪い者でも集まりやすく、日帰りも可能であるところとして、高崎駅メトロポリタンとしました。
原君が数回ハガキで意見聴取・勧誘をしたので、返答が沢山あつまり、行きたいが体調不良との声が多くありました。
 予想より多く11名が集まりました。お互いに誰かがわからない人たちも少なくありませんでした。常連が激減した状態でしたが、話はもりあがりました。自分の抱えている病や体調のことが多く、逝去された友人の想い出や、患った病名などが語られました。珍しい疾患が多かったです。さすが医者だからこそと思いました。
 翌日は富岡製糸場の見学予定で、半分ぐらい参加予定でしたが、3人だけになってしまいました。これは歳のせいでしょう。原君が案内し、富岡製糸で興味深い資料を見学し、昼食にうまいそばを食べて高崎駅から新幹線でお別れでした。
 今後は、原君にクラス幹事になってもらい、六城会の開催を毎年、今年と同じ場所で同じ時刻に開催することにしました。来年の世話人は松峯・竹越両君にお願いしました。
 来年も集まれることを祈りつつ。
 集合写真竹越君撮影。卒業アルバムの編集以来、竹越君にお世話になる。感謝。
(飯野君が撮影前に退席のため写真なし。陳謝)

 






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