たしか昭和29年に群響をモデルにした映画「ここに泉あり」が公開され、私は灰色の生活をしていた千葉市でその映画を見た。群馬は案外格調高い文化県であることを知った。と同時に当時関東に4つしかない国立の群大医学部に憧憬を抱かされた。我々の時代は大学医学進学コース2年終了後、改めて医学部を受験しなければならず、この制度は31年まで続いた。30年に入学した60人は群馬大が31人、千葉大13人、東北大3人、日大3人、東大2人、北大1人その他である。さらに前年に入学されたが、結核の療養を課された3人がいた。戦後の食糧難の影響を受けた最後の仲間である。千葉大が多いのは1つには医科歯科の進学コースが委嘱されていたことにもよる。そして34年に62名の"34年同窓会丸"の船出である。学会には群大外科教授 長町幸雄、信州大内科教授 関口守衛、そして長らく同窓会会長として貢献した 土屋純がいた。また重粒子線センターへの数百万円の寄付をするなど母校愛に燃える奇特な仲間もいる。
 卒後毎秋に催している同窓会は昨年11月に第56回。最も若い仲間が80歳を迎え、1000万人を超えた超高齢者の仲間入りである。そこでこの節目として、人気のスカイツリー観光を目玉にした同窓会を20数年ぶりに東京で開くことにした。気持ちとして鐘や太鼓で宣伝に努めたが、参加者は生存者37名のうちわずか12名でした。参加する気はあっても、前橋(群馬在18名うち前橋12名)から東京は超高齢者にとって外国のように遠い地になってしまったのか、まさに予想を裏切られた数であった。参加者のうち一見元気そうでも前立腺癌、肝癌、肺癌やステントを挿入しているものなどがおり、同時に先進医学の恩恵にも目を見張った。よる年波には勝てず今年も懐かしい古い顔した3人の仲間がわが"34年同窓丸"の下船を余儀なくされた。

 






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