わがクラス会は平成26年6月21日(土曜)、午後6時から、アニバーサリーコート ラシーネ新前橋で開催された。2年振りの顔合わせである。出席者22名、欠席者19名、返事なし5名、物故者14名。会計は田島女史。企画はすべて女性軍である。
 まず、写真撮影の後、しばらく見なかった伴が顔と名前が一致しないと言いながら、乾杯の音頭をとる。その後、恒例の近況報告に入ったが、要約すると次のような内容であった。
(1) 自らの老化の問題
 物忘れがひどい、手術(白内障から大腸がんまで)を経験した、杖をつく状態になった、心筋梗塞や脳梗塞をやった、においがわからない、病気の巣窟です、どこまで生きられるか等、あわれな現状であった。
(2) 後継ぎ問題
 開業医の立場から、子供が後を継いだ、しかし、子供の意見を聞き、子供をたてている、週2回か3回診療している、4年前に診療は辞めた等、次の世代に入ったことが、認識されたのである。
(3) 趣味など
 まだ山登りしている、ローマやスイスなどからの石をあつめている、外国旅行は無理な体になった、俳句や短歌をやっている等に加えて、同窓会から釼持が「地域医療貢献賞」を貰ったとの発言には拍手が起こった。
 また、「戦後70年間、日本は平和だった。こんな日本に住めて感謝している。今は思い出にふける毎日です」という老精神科医の発言に参加者一同、しんみりとしてしまったのである。そうだ、半世紀以上前は安保闘争時代だった。国会周辺の座り込みにも、わがクラスのほぼ全員が参加したのである。
 午後8時をまわって、中締めの言葉を成田にお願いしたが、何故か万歳の音頭で散会となった。しかし、興奮冷めやらぬ一行は、ホテルのロビーで、10時近くまで談笑。遠方から参加したメンバーはホテルに宿泊した。
 クラス会は顔を見せるだけでよい。かつて共有した思い出と現在の自分の置かれた位置を確認して家路に帰っていくのである。総括すれば、そこにはあと2年経つと全員が80歳(傘壽)を越すという現実があったのである。
 






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