平成25年10月20日、日曜日、群馬大学医学部4回生(昭和33年卒)竹の子クラブクラス会が行われました。今年は卒後55周年、クラスの大半が傘寿を迎える区切の年です。一人でも多く出席してもらおうと、当番幹事東京チームの立案したのが、「日曜日にランチ形式」でした。
 正午、東京ホテルオークラ本館11F、「さざんか」に、14名の出席者が全員集合。既に和気藹々の雰囲気の中、「国家試験未受験の歯科医者(司会者)で恐縮ですが…」と、幹事湊正君(在八王子)のユーモラスで巧みな司会の波に乗って開会されました。幹事小林暉佳君(青梅成木台病院理事長・在東京)の開会の辞、物故会員(16名)追悼の黙祷、クラス委員神山照秋君(在渋川)の挨拶と続き、幹事安戸一皓君(在東京)の音頭で乾杯となりました。ワイン、ビール、お酒、水割り、オールフリー等、お好みのドリンクが杯に注がれ、熱い鉄板上には、ベテランの焼き手に調理された、色とりどりの山海の珍味が、次々と、サーブされました。酒宴が進み、アルコールも程よく回って、論談風発。政治、社会情勢、家族、友人、仕事、病気、趣味、スポーツ、旅行、終活に至るまで、話題は広く深く、近況話や思い出話となって、次々と語られ、哄笑、嘆声の渦が広がりました。
 柔道五段の猛者ドクター、塚田久雄君(在相模原)の世界を股に掛けての海外留学武勇伝の数々が、大爆笑の中、果てしなく紹介され、遂に「本を書け!ベストセラー間違なし!」と弥次が飛び出す大盛況となりました。
 加藤友之君(在横浜)、神山照秋君、鈴木博君(在東京)、湊正君、安戸一皓君の五人はゴルフ仲間で、お互いの技術を誉めそやすコンテストを展開。「三食ゴルフ場漬け」と揶揄されたゴルファの顔も、結構、楽しそうでした。幹事鈴木博君の「猪瀬東京都知事ソックリさん騒動」は、もうかなり有名で、見知らぬ一般人から声をかけられることもあり、さぞかし迷惑だろうと思いましたが、「俺が知事に似てるんじゃなくて、知事が俺に似てるだけだよ」と御本人は涼しい顔でした。陽あれば陰あり。長期慢性疾患療養や、閉院の話もチラホラ。目や耳の障害が広く進んでいて、ADL劣化が切実な問題となっている様子が、窺われました。
 ここで特記すべきは、クラスの最長老藤田俊太郎君(在石川県)寄稿の、一篇の詞であります。御本人は、体調不良のため欠席。その届と共に投稿されました。一枚の和紙に、墨跡も黒々と鮮やかに、「群馬大学医学部の想い出、若き銀杏」と題し、「若き銀杏の学び舎に、秋の日西に染むとき……」に始まり、「……竹の子クラブ医学生、ああなつかしや若き日よ」と結ぶ。若き青春時代への強烈なノスタルジアが、したためられてありました。誠に失礼ながら、コピーさせていただき、皆さんに配布いたしました。読み終わった皆さんの顔は、「同感!ブラボー!」の表情ありあり。「曲をつけて、皆で歌いたい」これが本音でしょう。タイムリーな御寄稿に、改めて謝意を捧げたいと思います。頃合いを見計らって、クラス委員飯島耕作君が閉会の辞を述べ、会はそのまま、ホテル別館1F、レストラン「カメリア」に移動し二次会となりました。
 昔から昼酒は、よく効くものと申します。酔った人も、酔っていない人も、学生時代と同じ雰囲気に融けこんで、すばらしい懇親の会が生まれました。延々5時間、その和みの中で、同期の心の絆が強まり、この仲間のすばらしさ、大切さが喜びとなって、心に刻み込まれました。暮れなずむ午後五時、終宴。名残りを惜しみながら、三々五々、解散となりました。来年は、神奈川が当番幹事。海か山か、横浜か。期待がいっぱいです。
 






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