昭和32年卒のクラス会は「三仁会」と名乗っており、今年は最年少者も80代となったので、2013年7月5日(金)の午後、さいたま市JR大宮駅に近いパレスホテル大宮で最終クラス会を開催した。
一学年50名定員であった私達のクラスは、卒業式の前夜に、附属病院本館が全焼し、翌日の史上最短時間の卒業式で医学部生活が終わった。付属病院本館の焼失で、母校でのインターンと決めていた級友は、新たにインターン病院を探すことに迫られたりした。こうして卒業した49名からは、国立大学の学長、母校および他の国立大学医学部の基礎や臨床の主任教授、有名医療機関の長などが輩出し、多くが定年退職の後も、それぞれの体調に応じた社会貢献を続けている。悲しいことに20名がこの世を去っている。
最終クラッス会には、14名が出席し、もっとも遠地からは、釧路の白糠町の滝弘康君が出席した。開宴に先立ち今は亡き級友20名の御霊に黙祷を捧げてから、お互いの現況を語り合う時間へと移行した。欠席した級友から感じが集めた現況情報も一同で共有した。欠席の理由は、業務の都合(3名)、本人の体調不良あるいは配偶者の介護(12名)で、出席者中にも腰痛や下肢痛などの訴えがある高齢者集団であったが、盛り上がる話題には事欠かなかった。
 二次会にはほぼ全員が参加し、夕刻近くになり解散した。最終クラス会を最終とせず、再び集まろうとの声も出たが、1〜2年後の健康状態の予見ができないと誰もが次回幹事役をためらい、しばらく経過してから意見を求めることになった。
 既に幹事を担当した級友が、クラス会の慶弔用の経費を集め、その現金が代々のクラス幹事に引き継がれてきたが、その残額も少なくなっており、以後の三仁会の連絡用経費にあてるべく現幹事が管理することになった。
 






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