「堅い友情」で結ばれている、我が群馬大学医学部42年卒同窓会が、2年ぶりに復活。
名幹事、春日先生ご夫妻の周到な準備のもと、「卒後45年記念同窓会 IN 東京 」が3月17・18両日、東京、お台場「ホテル日航東京」で開催されました。
 土曜夜はパーテイー。翌日曜日は、「東京観光」と楽しい企画満載でした。
 3月17日(土)少しばかり、お天気が心配な中、いざ「お台場」へ出陣。
 ぞくぞくと懐かしいメンバーが集まって、宴の開催。
 まずは全員揃っての記念撮影。
長老岩上先生の乾杯の音頭の後、一人一人マイクを手に近況報告。まず、皆は、春日先生ご夫妻に謝意を述べ、お二人のご尽力のお陰で、これまでも全国各地(北は北海道から-南は沖縄、九州、四国、山陰、山陽、横浜、時々群馬)と、楽しい企画満載の同窓会を行えた事に感謝。
 今回は、卒後45年という節目を迎え、34名もの仲間が集えた事を喜び会う。
 スピーチは病気自慢大会のようでもあり、日ごろ患者さんに向かって早期発見、予防が大事とかいっていながら、ほとんどの者が「医者の不養生」で、結構深刻な病気に罹り奇蹟の復活を遂げた先生もいらっしゃる。
 震災後開催を危ぶまれた「世界睡眠学会IN京都」を3000人の参加者を集め成功させ、現在はボランテイア教授となって、後進の育成にあたっている、わがクラスの誇り大川先生の報告に皆感心して聞き入る。
 クラスの出世頭、後藤先生は、この度4冊目の書物を上梓(高齢者医療の現場から「終の住処」診療記」(中公新書)は同窓会誌でも読みやすく、臨場感あふれる本と絶賛されています。)これからまた新しい大学に教授として招聘され、再び教壇に立つとのこと。
 因みに42年卒組は、58名の卒業生のうち、9人もの大学教授を輩出した優秀な学年であった。
 後述するが、訳あって私はこの学年には、2年間しか在籍していない。
 映画俳優のような好男子で、ラグビー部で活躍した舟橋先生は、スキーウェアで登場。大病を患ったが、目下第2の青春を謳歌中とのこと。
 有床診療所復活のため、医師会要職について、頑張ってくれている、新沢先生のお陰で、今年4月診療報酬改定では、当院のように、365日24時間体制で、患者さんを受け入れている有床診療所に対する点数が加算されることになった。ご活躍に感謝。
 当時、長嶋先生(北大名誉教授)が結成した、ジャズバンドのメンバー達が、夏合宿を館山で行い、我が家にも遊びに来て楽しい夏休みを過ごしたのも良い思い出だ。
 クラスでカップルになった、山本先生ご夫妻も仲睦まじく参加。藤田先生ご夫妻の縁結びの神は、幹事春日先生だったと明かされた。
 この度 地域医療貢献賞を受賞した、黛先生は、自宅に写真室を造るくらいのカメラ好き。この日のため、古いアルバムから、現像して持参した医学生時代の写真がテーブルを回る。裸電球の下、写真に収まっている面々は青春真っ盛り。一同50年前にタイムスリップする。
 私もマイクの前に立たされて、現役産科医として、自験例をまとめた論文「22年間の当院における骨盤位の分娩管理‐とくにオバタメトロ使用の視点から‐」を配布させてもらい、産科医としての矜持を語った。
 小野垣先生は、「10分で入眠できる」画期的方法を考案し大川先生にも検閲してもらって近く出版予定との事。
 上等の和食、酒に酔い、楽しく語り、ライトアップされたレインボーブリッジを眺めながら就寝。

 翌朝8時、平成生まれのバスガイドさんの案内で「東京見物」スタート。
 東京ゲートブリッジ→浅草寺→月島もんじゃ焼きの昼食→芝増上寺→東京タワーに昇り、東京駅着。
 われらお上りさん集団は、別れを惜しみ来年の再会を約束して解散。

 思い返せば、2浪の末やっと合格した群大でも、柔道に明け暮れた私は、要領の悪さも手伝って落第の憂き目にあった。
 それでも、いまもこうして仲間として、必ず同窓会に誘ってくれる「42卒の友人たち」は、私の「生涯の宝」である。
 楽しく過ごした2日間で、皆の顔は「晴れ晴れ」として、私も、明日から「顔晴る」英気を養えた。
 「良き友と 見えし春日 顔晴れる ノボール」

 






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