我が国の状況が一変した東日本大震災より1年が経とうとした3月3日土曜日にホテルメトロポリタン高崎に於いて平成5年卒のクラス会が開催されました。前回のクラス会は2年前に行われ、まだ日が浅かったのですが、今回は我々の学年から待望の初めての教授誕生とあり予定を早めて教授就任祝いを兼ねての開催となりました。吉報を受けたのは昨年夏。同級生の大野達也君が、本学が世界に誇る群馬大学重粒子線センター教授に選出されたのです。震災の後の様々な自粛ムードの中、久しぶりのうれしいニュースでした。遠くは高知から集まった同級生は総勢36名。中にはお子さんを連れて一家で参加の者もいました(前野君夫妻)。17時、高柳君の名司会に会は始まり、まず天野(旧姓齋藤)さんから大野君へ教授就任お祝いの花束が渡されました。大野君と同じ準硬式野球部でかつ放射線科同期(かつ同い年)の北本君の祝辞のあと、「大野教授」から重粒子線治療の最先端の内容でありながら、門外漢にも分かりやすいレクチャーを頂き、またその中で群馬大学の現状にも触れていただきました。卒業以来、母校を訪れたことのない者もいて、新調された講義棟や院内のアメニティーモールなどのスライドに驚嘆の声が上がりました。同じく準硬式野球部だった鈴木秀喜君は大野君との思い出として学生時代の懐かしい(ちょっと恥ずかしい?)写真を音楽とともにDVDに編集し上映してくれましたが、そのプロ顔負けの出来栄えに一同感動でした。青春時代への一瞬のプレイバックを経験させてもらいました。また勤務先の土浦の病院で震災に被災した若井(旧姓酒井)さんや遠く高知から来てくれた林君から近況報告があり、その元気さにみんな心打たれました。最後に大野君へ岡田(旧姓足立)さんから花束贈呈があり、大野君の教授としての益々の活躍と群馬大学重粒子線センターの更なる発展を祈念して、一次会はお開きとなりました。二次会は高崎駅一階のキリンシティへと河岸を変え、新たな参加者も加わり専らクラス会モードとなり、夜10時過ぎまでビール片手に昔話に花が咲きました。昭和62年春、初の国公立大ダブル受験、初の群大医学部推薦入試、群大医学部一般入試から理科が廃止され、余りの高倍率に面接試験の待機場だった基礎大講堂が溢れかえった年に入学した我々のクラスも今年は卒後20年目にあたります。地域医療に貢献する者、基幹病院に勤務医として活躍する者、診療所院長、副院長となる者、他大学病院や研究機関に勤務する者、医療とは異なる夢を追う者、そして母校群大に残っている者と皆様々なキャリアパスを歩んでいます。子供の教育、親の介護の話題も多く出ました。感じたのは40代も半ばになり皆苦労しながらも、懸命に生きているということ、そしてクラスの団結力の強さでした。東京にいながら同級生の消息をあらゆる情報を駆使して把握し、多数の同級生を集めてくれた前島君、一次会、二次会の会場設営を一手に引き受けてくれて、またその準備の周到さに舌を巻いた天野君には本当に感謝しています。彼らの力が無ければこんなに盛会にはならなかったでしょう。次回はまた2年後ということで、再会を誓って別れを惜しみながら三々五々散会となりました。また大野君に続く新しい教授が誕生し、「こないだクラス会したばっかりじゃない?!」っていう「不平」が出ることを大いに期待して。(一部訂正、平成24年9月4日)
写真の注釈(敬称略)
最前列(左から)一色(旧姓管野)、岡田(旧姓足立)、寺尾(旧姓武田)、
若井(旧姓酒井)、掛水(旧姓山田)、大野、山崎(旧姓清水)、前野(旧姓桑子)、天野(旧姓齋藤)、川口(旧姓石川)、水越(旧姓斉藤)
2列目(左から)登坂、林、大谷、富澤、鈴木(秀)、市場、有沢、神谷、前野、松村
最後列(左から)前島、蘇原、尼崎、清水、橋本、北本、杉山、高柳、砂長






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