平成23年11月5日(土)〜6日(日)、軽井沢プリンスホテルにて、昭和33年卒同窓会を、群馬県在住者が幹事で開催しました。
 我々のクラスは居住者の多い地区、つまり東京、神奈川、群馬の3地区で毎年交代で会を開いております。平成23年度は群馬の順番に当り、クラス委員神山照昭君(在渋川)と飯島耕作君(在高崎)を中心に県内在住者が高崎メトロポリタンホテルに集って、4回準備会(常時10人前後出席)を開き、協議を重ねて準備を進めました。
 先ず開催場所として四万温泉と軽井沢プリンスホテル等が話題に上りましたが、ホテルが駅前に在り、交通至便とゴルフも出来る等の利点で、上記軽井沢プリンスホテルに決りました。日時に関しては紅葉の軽井沢を味わってもらおうとして、綿秋の季を選びました。
 因に、竹の子クラブの名稱は東京麻布十番で開業していた故荻野彰君の提唱です。つまり、昔から経験が浅い医者を指して「竹の子医者」と呼んでいた所から名ずけ、将来若い竹の子が立派な孟宗竹に成長する事を願っての命名と荻野君から聞いておりました。我々のクラスも年令が既に80才前後となり、卒後50年余を過ぎ、各人それぞれ立派な竹に成長したようですが、老竹になりました。今回の軽井沢には20名の同窓が集い旧交を温め合いました。
 次ぎに、簡単な式典と宴会の模様をお伝えします。司会進行をクラス委員の神山君にお願いしました。更に開催と歓迎のあいさつをクラス委員の飯島君が行いました。更に金子由之介君(在高崎)からクラスの経理状況の説明があり、次いで明日のゴルフコンペに就いての説明を神山君、ホテル周辺の散策に就いて松本淳君(在前橋)、軽井沢には美術館が結構多く、当地の美術関係の情報の紹介を塚田譲君(在前橋)が行いました。
 以上流れるように簡単な式典が終り、当地で医師会長を務めている中島敏君(在長野)の乾盃で酒宴に移りました。昨年のホテルオークラから1年振りの再会を祝して盃を上げたり、久し振りの出席で挨拶を交したり、にぎやかな酒盛りの一時が晩秋の軽井沢の夕闇の中に静かに盛り上りました。しばらくして、永島勇君(在前橋)から母校の近況を伝えて頂き、又当地の医師会長中島敏君の司会者からの指名発言で、ユーモア溢れる話に一同爆笑と更に塚田久雄君(在神奈川)以下何人かの人の近況発言がございました。
 御神酒が回った所でクラスのムードメーカー西形雄次郎君(在高崎)がギターを持って登場、自作の「竹の子ソング」を披露し、万雷の拍手を頂きました。竹の子ソングの一部を紹介します。
『今じゃ時めく病院の院長先生であるけれど、元を糺せば竹の子で、ビーコン食らった事もある』とか。『今じゃシガナイ町医者の老いぼれドクターじゃあるけれど、元を糺せば竹の子で天を目指した事もある』。以前にも紹介した歌詞ですが、働き盛りの若い時や、天を目ざしていた時代を、今や大きく過ぎ去った80才前後の老医にはチヨピリペーソスが効いて面白かったが、チョコト笑いの中に哀愁が滲んでいましたか、私の錯覚でしょうか?
 最後に、来年の担当である神奈川を代表して、湊正君(在八王子市)が登段し、挨拶をして閉会になりました。
 おみやげに「峠の力餅」を付けました。昔、碓氷峠の険しい山道を乗り切るためにこの餅を食べて登ったそうです。我々の同窓もポチポチ80才の山に近ずきすぎました、元気に乗り切ることを願って、おみやげにしました。
 後日、慰労と反省を兼ねて県内在住者が集りました。少し遠方の地軽井沢での開催で比較的盛会だったのは、新幹線を降りて目の前に会場があったと言う交通至便がよかったとの意見が多数だった事も付記しておきます。

【集合写真】
後列左より、神山照秋、飯島耕作、松本淳、青木謙二、金子由之助、川上哲男、塚田譲、安戸一皓、永島勇、鈴木博
前列左より、桜井省吾、奈良圭司、小林暉佳、加藤友之、中山欣司、中島敏、湊正、松岡正紀、塚田久雄、西形雄次郎






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