平成23年10月15日土曜夕刻、構内の雑踏を抜け、新宿駅西口地下広場に出た。
 曇天。都庁方面に向かう地下道をゆく。
 還暦の頃、20年前、同じ会の会場として一度選ばれたことのある「京王プラザホテル」を目指す。二度目となる今回はアンケートの結果から「原則。日帰りの会」と決まった。
 広い直線道路に似た地下道は、地上のビルと連絡できるよう機能的に造られていて、その都会的佇まいは20年前と変わっていない。
 あの会の時、元気だった片田、須賀、中山、稲葉、梶原、布施、大焉A牛久保などの折々の姿が思い浮かんでくる。近くは亀井、荒川が彼等の後を追った。
 前回は49名の卒業生のうち半数以上が出席、盛会だった。これまでに仲間の約4割が欠けたことになる。残る31名のうち、今回は13名が集まる。出席予定だった石井、滝の二名が欠席となり、代わって紅三点のなか五十嵐(旧戸塚)、境野2女史が出席する。
 一キロ程歩くと地下道の天井が途切れ地上の道路となる。周りは林立する高層ビルに囲まれている。左手に歩道に沿って建つホテルが見える。催し物の案内看板を横目に二重ガラス自動扉を通り抜ける。この階は地下に当たり、何軒かの飲食店やブチックが営業している。人影が絶えない。
 待ち合わせ場所に予定していた入口近くの「樹林」という喫茶店に立寄り、予約を申し込んだ。「本日はすでに予約で満席」と断られた。
 エスカレーターで三階にあがり、この階にあるロビーに出て、幹事の松本(渉外)、佐藤(会計)と合流。数少ないソファーのひとつを確保。ここを幹事の拠点とした。人影多し。
 仲間の姿が現れる。笑顔、握手、挨拶、談笑。間もなく全員の顔が揃う。三三五五立談。
 予約した6時が近づき、会場に移ろうとした。石橋の姿が見えない。手分けして周りを捜す。彼は宿泊予定。フロントから部屋に電話。応答なし。彼に宴席の情報を伝えていない。気がかりだが、仲間は一団となり宴席に移った。
 宴席は「南園」という中華料理店。
 黒いスーツと蝶ネクタイ姿の係員が奥の一室に案内してくれた。貴賓室のような、上品で落ち着きのある個室だ。
 記念写真を撮り、席に着く。すでに用意されていたテーブルの上に料理とビールが運ばれる。
 松本挨拶、境野女史の乾杯の音頭。開宴。
 この時、石橋登場。「近況報告。ひとり三分。まず石橋から」と即決。
 彼はそのまま直立。ワイシャツをたくし上げ素肌を露わにし、悲しげに叫んだ。
「見てくれ!このひどいヘルペスを。痛みに耐えかね、今まで部屋のベッドの上で休んでいた。イタイ、イタイ」
 彼を皮切りに、それぞれ体調、仕事、家族、趣味、主張など手短に報告。
 全員、充実した日を送っていることが伝わる。
 生活保護、税制に対する批判、台頭する中国、迷走する国際情勢などについての意見、主張も開陳された。熱き批判精神、いまだ劣えず。
 欠席理由の殆んどがそうであったように、エベレスト登山を報告した頑丈な佐藤を除けば、出席者全員、何らかの体調問題を抱えていた。いくつかは九死に一生という深刻な体験。
 そんな闘病体験がまるで他人ごとのように面白可笑しく語られ、あたかも落語家の臨床講義といった印象。しかし気がつけば酒量も大分落ち、改めて、年齢のことを思わないわけにはいかなくなった。
 ひとり松本を除き、全員ペースを落としてはいるが、仕事を続けている。ただ今「半端現役時代」を通過中。隠居するには未だすこし早い。
 心なごむ、楽しい時間の過ぎるのは早い。
「来年あたりを最後とし、解散すべき時期に至ったのでは?」との提案あり。
「会存在に意義あり」「最後の2名になるまで」など賛否両論あり。
 二回、評決を採り、二対十一で存続と決定。
 次期幹事は、堀内、武田が引き受けてくれた。決定時、大きな拍手あり。
 8時半終宴。時間に余裕ある者は先程断られた喫茶店に席を移し、明るい灯のもと二次会を楽しむ。
 9時半、再会を約し、なごりを惜しみつつ散会。帰路についた。
 






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